超10blog香川県では、「超10(長寿)運動」=「健康で元気に長生きしよう運動」を、県民が力を合わせて実施します!

cho10.jp

超10ストア!

検索

カレンダー

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

最新記事

カテゴリー

過去の記事

RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM

スポンサーサイト

2014.12.11 Thursday | category:-

一定期間更新がないため広告を表示しています

-

超10医療 〜田中眞治医師の寄稿〜

2013.12.26 Thursday | category:-

 1970年代に田植機が農家に導入されるまでは、水田に稲の苗を植えるのはすべて人力で行われていました。農家の離れに牛が飼われていてこの牛を使って農地を耕すまでは人力で土地を耕していました。当然、家族全員参加、それでも人力が足らずに近所のひとびとが総出で田植えが行われたのです。  みんなで力を合わせて労働し、みんなで食事をし,結婚式も葬式も部落みんなで助け合って行う時代でした。たった50年前の事です。  地域のたすけあい、信頼、連帯の力をソーシャルキャピタルと呼び、健康度に大いに関係がある事を前回のブログで述べました。50年前の風景をスケッチしながら今の時代にどのように地域の助け合いを創造していくのかについて考えていきたいと思います。


 私は1954年、現在の高松空港のある町、香南町の生まれです。幼小児期の記憶は鮮明に残っています。水田に「じょうぎ」と呼ばれる2メートルくらいの木製の枠を使いながらすねまでつかり、1列に並んだ10人近いひとびとが稲を規則正しく植えていくのです。その頃は農薬の使用はすくなかったので、水田に張られた水の中にはあめんぼう、げんごろう、やごなどが所狭しとうごめき、水面をすいすいと泳いでいてまるで田舎の水族館です。ちょっと嫌だったのは「ひる」です。ふくらはぎに吸い付いて私の皮膚から血液を吸い取っているのです。つまみあげて皮膚からやっとはがしとると血液をいっぱい吸ってふくらんでいます。大人たちが一生懸命に田植えをしている風景を横目に見ながらこどもは時々手伝い、それ以外の時間のほとんどは水田の生物たちや適度に粘土状になった田んぼの土で飽きる事なく遊んでいました。  田植えの時期が近づくとため池のゆる抜きが行われます。大人たちは夜を徹して川上から流れて来る水を順番に自分たちの水田に誘導します。この誘導する方法は木製の板でできた水門により川の水をせき止めて水田に流し込むという単純な方法ですがおとなにとっては随分神経を使う瞬間であったようです。  ただでさえ降雨量の少ない香川県でしかもため池から放流された川の水はあっというまに海まで流れるのですから水田用の水をめぐって昔から争議が繰り返された歴史があります。
-
 寿命を左右する本当の要因は何なのか。ハーバード大学の社会疫学研究者たちが'96年から、アメリカや日本など世界の国と地域を対象に行った大規模な調査の結果、日本文化の中にある強い「ソーシャル・キャピタル」が、長寿と健康に大きく関係しているということが分かりました。

 ソーシャル・キャピタルとは、「お互いさま」や「持ちつ持たれつ」といった連帯意識のことです。ソーシャル・キャピタルの測定方法は、アンケート方式です。「あなたの地域の人は信頼できますか」、「地域の人と助け合いができていますか」、「地域の人はあなたの弱みに付け込んできますか」などの周囲との人間関係に関する要素を含んだ質問をし、「非常にそう思う」、「ややそう思う」、「どちらとも言えない」、「あまりそう思わない」、「まったくそう思わない」の5段階で回答してもらいます。そして、その調査対象者たちを数年間追跡し、どんな人が病気になったか、誰が生存しているかを確認するのです。

 また第2番目に寿命を左右する要因には、「経済格差」も大きく関係しています。東京大学で行われた収入の不平等と健康に関する研究で、所得格差を表すジニ係数が0・05増加するごとに、その地域における死亡率は8%ずつ増加するということが明らかになりました。ジニ係数は格差が大きいほど数値も高くなります。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33482?page=4より抜粋)

 これまでこのブログで香川の平均寿命を伸ばすための様々な考察をしてきましたがまた新たな視点での検討が必要になってきました。つまり、助け合いや連帯の気持ちが強いほど、そして、経済格差が少ないほど人間の寿命が延びるというのです。 

 香川県のお互いさまの度合いと格差の度合いを調べてみる必要がありそうです。大阪大学の研究によるとソーシャルキャピタルについては表1の様に香川県は全国14位となっています。信頼指数は13位、付き合い指数は14位、社会参加指数は20位です。 http://www.osipp.osaka-u.ac.jp/npocenter/scarchive/sc/file/004/document4_1.pdfより抜粋 

 第2の経済格差については表2のように黄色で塗られた数字は格差が大きく白く塗られた数字は格差が少ない県と年齢層を表していますが香川県は経済格差の大きい県になっています。 平成25年発表の都道府県別平均寿命ランキングにおいて香川県は男16位 女24位でした。経済格差のない香川県にするためには低所得者対策や就労支援等の政治的な政策によるところが大きいために私たちに出来ることはまず付き合い、社会参加や近所同士の信頼指数を高めるソーシャルキャピタルを高めるさまざまな取り組みをすすめるということになります。

 。
-
 福島県の震災後2年半経過した時点での震災関連死について復興庁の資料を元にグラフにしてみました。  東北を中心に日本全国で2688人が2013年3月までに震災後関連死していますがそのうち2396人(89、1%)が65歳以上の高齢者です。さらに問題なのはそれ以外では関連死が一桁台に減ってきているのに福島県だけでグラフの様にいまだに200人を超えているのです。

 福島県の関連死をさらに詳しく見てみると南相馬市406人浪江町256人、富岡町160人とこの3市町で822人(福島県全体1383人の59、4%を占めています。この原因を詳細に分析する必要がありますが、放射線の直接被爆との因果関係や未だに15万人以上が避難生活を送っていること、生業の再建ができず将来の不安が続いていることなどとどれほどの因果関係があるのかついて検討されることが重要だと思います。津波や原発災害を逃れた後の避難生活がいかに高齢者をはじめとするひとびとのいのちを短縮しているかが表されています。今からでも遅くない、高齢者や弱者に手厚い医療や介護を提供する必要があります。  

-
  岩手県宮古市田老町はこれまでまちが消滅するほどの津波被害に何回もあっているまちです。

 その歴史は以下の通りです。

 1896(明治29年)615 - 明治三陸地震で発生した高さ14.6m津波が襲い2248人中の83%にあたる1867人が死亡

 1933(昭和8年) 33 - 昭和三陸地震による大津波では2773人中の32911人が死亡し、三陸海岸の村々の中で死者数、死亡率とも最悪であった。この時、高台移転か防潮堤建設かの検討が行われ、結果として防潮堤を建設する事となった。

(昭和33年)3- 最初の堤高10m超の防潮堤が完成。その後も増設を

続ける。

1960(昭和35年)524未明 - チリ地震による大津波が襲来した

が、防潮堤が被害を皆無にとどめた。

1979(昭和54年)長さ2433m、高さ10m(海面から)の防潮堤が完成

 し、世界中から注目を浴びる存在となった。

 2011年(平成23年)311 - 東北地方太平洋沖地震による大津波であとかたもなく防潮堤は破壊され4434人中200人が死亡した。

                     Wikipedia一部改変

 歴史にもしもという事はありませんが昭和8年の時点で高台に移転してれば今回の被害を最小限にとどめることができたはずです。この時、何故高台に移転しなかったかというと土地の確保が出来なかったことや、漁業を営むためには高台には移転しにくい事等がありました。

 今回、4回目の津波被害を受けて85%の田老町民は高台移転を希望しており、町の復興計画もその線で立てられようとしています。

 震災から2年半が経過し、東日本大震災の記憶が薄れかけていますが、東北福島のまちの復興はこれからが正念場です。地震や津波があっても死者のでない安全なまちを目指して復興計画の実践を注視していきたいと思います。



-

 厚生労働省が発表した平成24 年簡易生命表によると、男の平均寿命は79.94 年、女の平均寿命は86.41 年と前年と比較して男は0.50 年、女は0.51 年上回りました。主な年齢の平均余命をみると、男女とも全年齢で前年を上回り、また、平均寿命の男女差は、6.47 年で前年より0.01 年増加しました。


 都道府県別の平均寿命は平成22年のデータが発表されていますが香川県は男が79.73年で全国16位、女が86.34年で全国24位でした。

 私たち超10の取り組み目標は香川県の平均寿命を男女とも10位以内にすることですがなかなかその成果がみられません。


 山形県は平成17年から平成22年の5年間で男の平均寿命を78.54年(全国28位)から79.97年(9位)までいっきに1.43年伸ばしその伸び率は全国1位でした。山形県のホームページからその原因を抜粋すると「「山形方式・医師看護師生涯サポートプログラム」に基づく医師看護師確保やドクターヘリの導入、日本海総合病院救命救急センターの整備、全国2番目となる大人の救急電話相談など医療提供体制の充実が図られるとともに、喫煙率や成人肥満者の割合が減少し平均寿命が延びるなど県民の健康水準も向上しました。」と記載されています。


 また香川県の健康寿命(日常生活に制限のない期間の平均)は男69歳で全国38位、女が72歳で42位とかなり悪い成績です。香川の健康を守る取り組みをもう一度原点に返って見直す必要がありそうです。



-
 日曜日の朝、サンデーモーニングという番組に寺島 実郎というコメンテーターがいるのをご存知の方も多いと思います。

『団塊の世代 わが責任と使命 戦後なるものの再建』(1999年、PHP研究所

『われら戦後世代の「坂の上の雲」』(2006年、PHP新書

などの著書があり、団塊の世代がこれからどのように生きて行くべきかについて盛んに発信しています。雑誌「世界」2013年7月号には以下のような記事を寄せています。以下抜粋します。

 「団塊の世代を中核として進行する高齢化社会の到来は、全く新しい次元で日本社会を揺さぶることを認識しなければならない。・・・自らが主体的に考えて参画しない限り、なすべき何者もない存在が彷徨い始めるのである。団塊の世代は正念場を迎えている。・・・改めて団塊の世代は「ひとりひとつのNPO NGOへの参画」ということを主張したい。」


 先月、私はこのブログで「地域のこどもがおとなたちと一緒に学びながら地域の実態を観察して「どんぐり」や「苗」を育てそれが防災、東北支援、孤立予防、健康作りなど社会的な貢献をしているという実感が得られるとすばらしいなと考えます。そのために団塊の世代のひとびとが必要とされています。」と主張しましたが私と全く同じ主張をしている批評家、知識人の存在を発見して大変うれしく思っています。


 しかし、問題はこれからです。団塊の世代の人々がどのようなかたちで「ひとりひとつのNPO NGO」に参加していくのかについてCHO-10としても考え発信して行く必要があるのです。長年勤務した会社を退職し、ひとりの個人となった多くは60才代の男性のエネルギーをボランティアやNPONGOの活動に集めていくためにどのような方策があるのでしょうか。


 まずは、団塊の世代の人々がこの香川県、高松で現在どのような状況で生活しているのか、どのような希望があるのかなどについて小規模でも調査研究が必要です。団塊世代の人々の購買傾向等の市場調査の結果については世の中に出回っていますが、今必要なのは、団塊世代の人々が今度は会社のためではなく、世の中の役に立つために力を発揮することができる様々なプログラムの開発だと考えます。緩やかに束ねられたこの世代の人々がいきいきと高齢期を過ごすことは日本の未来を明るくするものであるし、希望を後世に与えるものになるはずです。


-
  団塊の世代の人が防災対策に力を発揮しようと先月この記事に書きました。

ところがすでに東京や東北で活動を始めている人々がいたので紹介したいと思います。


 東北沿岸部に300kmの防潮林を作ろうと呼びかけている宮脇 昭氏、「どんぐり育て隊杉並」を結成し、生き甲斐つくり、孤立予防もかねて東京の真ん中でシイ、カシ、タブの苗木を植えて防火林を作る活動等です。このどちらも30年40年かけて継続する息の長い取り組みです。すばらしいのは、防災対策が自分の子孫のために活動するという高齢者の生き甲斐にもなり、さらに孤立予防、さらには健康作りにもなるという一石三鳥にも四鳥にもなる活動であるところです。


 宮脇昭氏(横浜国立大学名誉教授)について以下HPより引用します。

 震災直後より被災地で現地調査を行い、いち早く「いのちを守る森の防潮堤」の必要性を指摘、 東北沿岸部に300kmの防潮林を作ろうと呼びかけ協議会を設立。

 
国内はもとより、世界各地で植樹を推進する現場主義の植物生態学者として、これまで国内外1700ヶ所以上で植樹指導し4000万本以上の木を植えている。

徹底した現場調査から、その土地に自生し、最も安定して存続する樹種群(潜在自然植生)を探し出し、それらの苗を育て、多種類の苗を密植・混植させ、自然の成り行きに任せて競争・共存させ、自然の森のような状態に植える手法を提唱、実践している。それまでは何百年もかかるといわれていた森の再生が、その手法によって十数年という単位で成功することを証明した。

地球規模の森林破壊や地球温暖化が加速、自然のゆり戻しである大災害にも負けない豊かな森を再生することを緊急の課題とし、すべてのヒトのいのちと心と遺伝子を守り、地域、経済、豊かな社会を支えるいのちを守る本物の森づくりいのちを守る森の防潮堤づくりを提唱している。


 杉並の「どんぐり育て隊」は主に高齢者の活動ですが、東京の防災対策としてだけでなく、こどもたちとの協業活動としての「どんぐり」育てをしているNPOや杉並区で苗を育てた後に東北の山に植樹する東北支援のボランティア組織等さまざまな取り組みが豊かに行われています。


 地域のこどもがおとなたちと一緒に学びながら地域の実態を観察して「どんぐり」や「苗」を育てそれが防災、東北支援、孤立予防、健康作りなど社会的な貢献をしているという実感が得られるとすばらしいなと考えます。そのために団塊の世代のひとびとが必要とされています。

-
 団塊世代の人こそ災害時に中心的な役割を

 30年以内に60%の確率で南海トラフ大地震が発生し、地震の揺れの後に太平洋岸には10分以内に瀬戸内側には2時間以内に津波が押し寄せます。四国の各県では2013年3月に発表された内閣府の第2次報告を元に対策を立て県民に公表しはじめています。高知県ではこれまでに津波避難空間の整備計画(津波避難タワー117 避難場所1354 整備 2013年2月時点)で死者予想53000人を42000人に減らすことができる、津波からの早期避難率を100%目指すことによりさらに被害を減らすこと等を目指しています。また負傷者36000人のうち20000人が重症で発生翌日までに人口75万人のうちの6割、451000人が避難すると推計しています。

 

 徳島県では地震発生から6分で徳島南部に20数mの津波が押し寄せ、最大予想死者数は31000人と発表されています。地震発生後10分以内に避難すること、耐震化率79%100%にすることなどを目指しています。

 

 愛媛は地震津波予想を5月末、建物人的被害を8月、経済被害を10月にまとめるとしておりその発表には慎重となっています。伊方原発を抱えているために対応方針の発表には四国の中では一番慎重になっているのではと推察されます。それでも内閣府の発表では愛媛県人口の38%にあたる54万人が避難すると予想されています。

 

 さて香川県には2時間以内に3−4mの津波が押し寄せ、冬の深夜で早期避難が困難な場合を想定すると最大で3500人の死者と23000人の負傷者、22万人の避難者数が予想されています。

 

 このような想像を絶する数字を前にして私たちはどのような準備を行えばいいのでしょうか。東日本大震災の教訓を今こそいかすべき時です。香川県では地震のゆれが治まったら2時間以内に4メートル以上のところに100%の県民が避難できる計画を今、作ること。そして、自分で避難できない人も含めて避難する訓練を日常的に行うこと。瀬戸内海沿岸には最初の津波が地震発生から2時間後に到達した後、その後も何時間にも渡って津波が連続的に押し寄せることが予想されています。

 

 1日目を生き延びた後は傷病者や要介護者、孤立者などの手当、介護などに組織された多くのボランティアが関われるよう今から準備が必要です。

 定年を迎えて目標を定めきれていない団塊の世代の皆さんが来るべき大地震の到来に向けてその豊富な経験を生かすことができるよう私も医療介護の専門家として何かお役に立ちたいと思っています。



-

 これまでの原稿に書いたように1954年生まれの私にとって幼小児期から学童期にかけて病院にかかった記憶は数えるほどしかありません。川に飛び込み空き缶で足の裏を切って隣町の外科病院で縫合処置を受けた事、小学校の帰り道、神社の境内で白いへびを発見し、そのめずらしさに捕まえようとして足をかまれマムシの血清を打たれた事、あとは中耳炎になって隣町の耳鼻科に母親に連れられて通院した事くらいです。これほど私にとって病院は遠い存在でした。今になって思うのは保険証がちゃんとあったのだろうかということです。


 日本全国では1955年頃まで、農業や自営業者、零細企業従業員を中心に国民の約3分の1に当たる約3000万人が無保険者で社会問題となっていました。その後1958年に国民保険法が制定され、61年に全国の市町村で国民保険事業が始まり。「だれでも」「どこでも」「いつでも」保険証1枚あれば医療を受けることができるようになりました。


 その後1970年代には全国で老人医療費無料制度が広まり、サラリーマンの医療費窓口負担は最初ゼロでしたが、1980年代になり次第に1割負担から2割となり、現在では3割負担となっています。2013年の現在、国民保険料を払えず、病院への受診が手遅れになり死亡する人が年間数十人もいることが報告されており、国民皆保険制度は危機的な状態となりました。


 このように、団塊の世代の人たちは戦後の保険のない社会保障制度の貧弱な時代、1961年以降の国民皆保険制度の開設と充実の時代、その後の抑制の時代をすべて経験しているのです。言い換えれば貧しくて病院にかかれない時代、保険証さえあれば医療費の心配をしなくてもいい時代、保険証があっても窓口負担が3割ある時代などのすべてを経験しているのです。社会保障制度の歴史的証人としても今後の日本の社会保障制度をどのように設計すればいいのか発言する責任があると言えます。

 私自身は窓口負担の心配なくいつでも必要な時に医療が受けられるような制度をさらに充実させることが必要だと考えています。

 

 

 


-
  ふるさとはいうまでもなく自分の生まれた土地の事を指すのですがさらには山、川、海などの風景、うさぎやふななどの動植物を食べるために追いかけた思い出、現在もそこに生活をしている父母や幼な友達などの情景をすべてふくんでいます。下に文部省唱歌『ふるさと』を引用します。

1.           うさぎおひし かのやま


  こぶなつりし かのかわ


  ゆめはいまも めぐりて


  わすれがたき ふるさと


2.           いかにいます ちちはは


  つつがなしや ともがき

  あめにかぜに つけても


  おもひいづる ふるさと


3.   こころざしを はたして

   いつのひにか かへらん

   やまはあをき ふるさと


   みずはきよき ふるさと

 

 この歌詞はふるさとを遠い都会で思い浮かべながらそれでも自分の夢を叶えて成功するまではそう簡単には帰れない。きっと帰ろうという心情を歌っています。団塊の世代の人たちの多くはふるさとを離れ、都会で働き1960年代以降の日本の高度経済成長を支えてきました。定年を迎え、故郷に帰ろうとしている人が17%、都会に住み続けたいと考える人が83%という統計があります。ふるさとが昔のように住み易い場所としては考えられないというのがその理由のひとつです。いっぽう2011年の東日本大震災以降、この歌「ふるさと」が口ずさまれるようになりました。ふるさとのひとびとの絆をもう一度とりもどして再興をめざそうという決意や原発事故によりふるさとを失いながらもいつかは帰ろうという気持ち等をこめて歌われているものと思います。

 都会で年をとっていく団塊世代、ふるさとにUターンする世代も含めて、今後の人生をどこでどのように住んでいくのかを模索している人々が多い時代です。できれば、新しい土地で生き甲斐のある社会に貢献できる人生を送れるような多様なプログラムが準備されていいのではないかと考えます。ふるさとに帰ってからもこころざしを追い求める時代なのです。




-