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2014.12.11 Thursday | category:-

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  岩手県宮古市田老町はこれまでまちが消滅するほどの津波被害に何回もあっているまちです。

 その歴史は以下の通りです。

 1896(明治29年)615 - 明治三陸地震で発生した高さ14.6m津波が襲い2248人中の83%にあたる1867人が死亡

 1933(昭和8年) 33 - 昭和三陸地震による大津波では2773人中の32911人が死亡し、三陸海岸の村々の中で死者数、死亡率とも最悪であった。この時、高台移転か防潮堤建設かの検討が行われ、結果として防潮堤を建設する事となった。

(昭和33年)3- 最初の堤高10m超の防潮堤が完成。その後も増設を

続ける。

1960(昭和35年)524未明 - チリ地震による大津波が襲来した

が、防潮堤が被害を皆無にとどめた。

1979(昭和54年)長さ2433m、高さ10m(海面から)の防潮堤が完成

 し、世界中から注目を浴びる存在となった。

 2011年(平成23年)311 - 東北地方太平洋沖地震による大津波であとかたもなく防潮堤は破壊され4434人中200人が死亡した。

                     Wikipedia一部改変

 歴史にもしもという事はありませんが昭和8年の時点で高台に移転してれば今回の被害を最小限にとどめることができたはずです。この時、何故高台に移転しなかったかというと土地の確保が出来なかったことや、漁業を営むためには高台には移転しにくい事等がありました。

 今回、4回目の津波被害を受けて85%の田老町民は高台移転を希望しており、町の復興計画もその線で立てられようとしています。

 震災から2年半が経過し、東日本大震災の記憶が薄れかけていますが、東北福島のまちの復興はこれからが正念場です。地震や津波があっても死者のでない安全なまちを目指して復興計画の実践を注視していきたいと思います。



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