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2014.12.11 Thursday | category:-

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  団塊世代の幼少期はほとんどの子供たちがおなかをすかせていました。おやつといえばいも、まめ(そら豆のいったもの)などでした。少し贅沢なものとしてはかりんとう、小麦粉を練ってフライパンで焼いたものなどがありました。

 ところが、子供たちは山や田畑になっている木の実(桑の実、しいの実、やまぶどうなど)やさとうきび、すずめ、いなごなど、 川ではふな、こい、どじょう、うなぎ、なまず、沢ガニ、ざりがに、食用がえる、ため池ではからす貝など自然から多くの豊富な食料を自分で確保していました。おやつは山や川にあり、母親に作ってもらったりするものではなく自分で確保するものだったのです。


 私は1954年に今の高松空港のあるまち、香南町で生まれました。昭和でいうと29年で団塊世代の後期にあたりますがここに挙げた食料のほとんどを自分で確保し、食べた経験があります。


 小学校低学年のことです。学校からの帰り道には神社の森があり、神社から少し下ったところには私のすねの半分くらいがつかるくらいの深さの川が流れていました。この学校から帰り道の500mくらいの地域が格好の遊び場でした。神社の木の上に秘密基地と称した小屋を仲間たちと作り、川では手づかみで小魚をとりました。川の中にそおっとつま先で入り、めぼしい大きさの石をはぐりながら手を差し込んだ時に触る魚の感触は今でも鮮明に思い出すことができます。


 ため池や小さな堀でもよく遊びました。今の大人たちが聞いたら仰天するかもしれませんがため池で岸から岸まで泳いで渡るのです。当然足は底には届きません。岸辺にはからす貝と呼んでいましたが、ハイカラにいえばムール貝のような黒い二枚貝が1列にぎっしりと並んでいました。ある時、ため池から裸で岸に上がった時に蜂の巣を踏んでしまいました。いっせいに蜂の大群が私の背中を襲ってきました。あわててじぶんのおしっこを出し、刺されたところに塗り付けたものです。(現在はこの治療法は無効であることがわかっています)


 数年に1回ため池のゆるぬきと称して池の水を放水してため池の水をからっぽにする行事がありました。この時は村じゅう、まちじゅうのおとなやこどもがため池の堤防に待ち受けます。池の水が次第に引いて行くと、こいをはじめとする多くの食料が目の前に現れてくるのです。てづかみでこの食料をみんなでわいわいとばけつやたらいの中に放り込んでいきます。この時の興奮も忘れることができません。



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