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2014.12.11 Thursday | category:-
超10医療 〜田中眞治医師の寄稿〜
2014.12.11 Thursday | category:超10医療
超10医療 〜田中眞治医師の寄稿〜
2014.09.28 Sunday | category:超10医療
1998年にノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア センは経済成長のみを追求すると人間の不平等、格差の増大を招く。ひとびとの潜在能力を発展させることによって生活を富ませ、社会をより豊かなものにすることができる。そのために社会の発展を経済成長率によって測定するのではなくひとびとの暮らしの質を計る幸福度指標によって測定するべきであると主張しました。
アマルティア・センのこの主張は全くあたりまえのことを言っているように見えます。お金のことばかりおっかけないでもっと人間の潜在能力を発揮させる事を考えなさい。ひとりひとりの幸福を追求しなさい。というのです。
でも人間の潜在能力を発揮させるということがなかなか難しいのです。ひとりひとりに対する教育は基本ですが様々な共助・公的な支援によって潜在能力を発揮させ、前回ブログで述べたような一人では解決できない困難を乗り越えていく必要があります。
ここにサッカーの上手な少年がいるとします。彼の夢であるワールドカップに参加することのできる選手になるためには地域の人々が出し合った資金でクラブが安定的に運営され、観客として多くの市民が競技場に足を運び観戦を楽しむという文化が必要です。地元の企業もNPO, 団体も物心両面で支えるという気風が必要です。
ドイツ国民は約40%が年間平均13000円の寄付をしており、学生が戸別訪問をして寄付を集めて回ったりしている。サッカークラブの運営も同様に地域に根ざした資金に支えられているようです。
ここに失業した労働者がいるとします。日本だと失業保険を受給しながらハローワークに通い,再就職のための訓練を受けます。しかし、この訓練がその人の潜在能力の開発や発揮をめざしているのか点検が必要です。なかなか自分にあった仕事が見つからず、失業保険が切れてしまう日を迎えるという事例が後を絶ちません。
ドイツでは地域の寄付金や公的な資金をもとに失業者を支援する活動を労働組合が行っている様です。
次回からも人生の様々な困難を世界の人々がどのように乗り越えていっているのかについてみていきたいと思います。
超10医療 〜田中眞治医師の寄稿〜
2014.03.31 Monday | category:-
しかし、このような事例を挙げるまでもなく現在広がっている困難はもっと一般的で広くてどこでもだれでも遭遇する困難なのです。不妊、育児上の悩み、保育園が見つからない、保育料が高い、発達障害がある、学童保育が利用できない、就学援助を受けられない、塾に行かないと授業についていけない、望む進学校に入れない、仕送りが大変、家庭内暴力、いじめ、不登校、授業に集中できない、授業が成り立たない、校内暴力、仕事が見つからない、就職したけど労働がきつい、合わない、残業ばかりでデートも出来ない、結婚相手が見つからない、結婚資金が貯まらない、老後が心配、年金だけでは暮らせない、がんを宣告されたけど相談する相手がいない、親子関係が、嫁姑関係が、夫婦関係が、遺産相続がうまく行かない、老後はひとりになり介護を誰がするのか、葬式の費用は....など生まれてから死ぬまで、さらには死んだ後までありとあらゆる困難に私たちは遭遇します。昔の人が言ったように生老病死すべてが困難なのです。しかもこれらはすべてひとりではどうしようもない困難ばかりです。
これら無数の困難の数だけ、お互いに助け合うグループやボランティア、NPOなどが存在し、資金的にも人材的にも安定的に運営されているというのが理想の姿だと思います。
いっぽう、国民がこれら無数の困難を乗り越えるため国に対してさまざまな社会保障をさせることは国民の権利であると日本国憲法には定められています。国の定める社会保障制度とボランティアなどの互助制度をいかにうまく設計していくのかが問われているのが今の時代だと思います。
超10医療 〜田中眞治医師の寄稿〜
2014.02.25 Tuesday | category:-
全国都道府県のボランティア活動行動者率と出生率、失業率、犯罪発生率との関係をみたグラフを以下に提示します。結果はボランティア活動に参加する率が高いほど出生率が高く、失業率、犯罪発生率が低いというものです。
(ちなみに香川県のボランティア活動行動者率は29.5%です。)
このような結果をもとにボランティア、NPOなどの活動を活発にし、地域作りやまちづくりの原動力として育成しようとする社会的な動きが阪神淡路大震災後、全国に広がりました。いっぽうで毎日の生活にゆとりがなく、貧困や過重労働から逃れられないひとびとが増加し、ボランティア活動の広がりを阻む社会状況も進行しています。時間的、経済的なゆとりがなければボランティア活動は広がりにくいのです。
わたしの幼小児期の田植え、冠婚葬祭、育児などを地域ぐるみで行っていた情景を前回まで描写しましたが決して時間的、経済的なゆとりがあったわけではありません。貧しかったからこそ助け合ったのです。
現在の貧困問題は孤立化した、分断された地域社会の中に見えない形で浸透しているところがやっかいです。貧しいひと同士が助け合うことが簡単ではありません。こんな時こそ困難を抱えたひとびとが連帯し、助けあえるよう支援するボランティア活動が求められているのではないでしょうか。
超10医療 〜田中眞治医師の寄稿〜
2014.01.27 Monday | category:-
親戚、近所のひとびとが集まってきて急に騒がしくなりました。葬式の準備が始まったのです。竹やぶから竹を切ってきて葬儀用の飾りを作る男たち、厚揚げを煮たり、葬儀用の食事の準備をする女性たちが忙しく動きます。2日から3日間に及ぶ家の仏間での読経のあと葬儀はいよいよその場所を移動します。
私の家から「焼き場」と呼ばれる火葬場まで人力で転がす木製霊柩車、竹竿を掲げるひと、写真や位牌を持った遺族などが行列になって田んぼの横の道を約500mの距離を練り歩くのです。
火葬場は露天で屋根がありません。1mくらいに掘られた長方形の穴に丸石が敷き詰められています。棺桶がおかれ周囲にわらを敷き詰めます。部落の男たちが当番制をしいた上で夜を徹して薪をくべます。棺桶が燃え、その中の遺体がきれいに骨だけに焼ける様火の勢いに気を配ります。
村の年寄りたちが「夜になると急に棺桶から死体が立ち上げるんだ」とか「骨の燐が燃えて火の玉になり夜空に上がっていくんだ」とか子供にとっても忘れられない神秘的な話をしてくれます。
このように葬儀は部落のみんなが村役の指示のもとに全て執り行い、遺族は亡くなったひとにずっと寄り添うことができるようになっていたように思います。それだけでなく私にとって祖父の死という出来事は悲しいという感情より、生きていた人間が焼かれて天に昇っていくという神秘的な儀式として多くのひとびとが慣れた段取りで淡々と行っていたという思い出になっています。